伝説の家政婦志麻さん。ここに立つまでの経歴は苦悩の連続?現在の心境やご本人が語る料理のコツ。

出典:リビング暮らしナビ

予約の取れない伝説の家政婦志麻さん。

この方テレビで取り上げられ始めたのはいつごろからでしょうか?

テレビで見る度に手際の良さはやアイディアの豊富さに目をむいている筆者。

この方はほんとにすごい。

これだけ有名になってもいつでも謙虚でいる姿や、優しいまなざしで訪問先のご家族を見つめる様子がテレビに映るとなんだか気持ちが安らぎます。

人柄なのでしょうか。

それとも苦労人だから?

今日はそんな素敵な家政婦志麻さんの経歴やご本人が語る料理のコツなどをご紹介します。

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家政婦志麻さんが家政婦になるまでの経歴。

本名 タサン志麻(ご主人がフランスの方です)

年齢 42歳

出身 山口県

職業 家政婦

出身専門学校 あべの辻調理師専門学校

話せる言語 日本語・フランス語

志麻さんは家政婦さんになる前はフランス料理のプロの料理人でした。

料理上手な母親は毎日仕事で忙しくしていたけれど(母親は看護士さんだそうです。)、毎日美味しいごはんを作ってくれていた。

母親は志麻さんが小さいころから包丁を握らせてくれて料理を教えてくれたそうです。

そんな影響もあったのでしょう。

志麻さんは料理人を目指します。

高校を卒業し、あべの辻調理師専門学校に入学し、和食、中華、イタリアン、エスニックなどありとあらゆる料理を学ぶ志麻さん。

あらゆる料理の中で志麻さんの心を一番揺さぶったのはフランス料理だったそうです。

何度も食べたことがあるような料理でさえ、フレンチの手にかかるとまるで別の料理になってしまう様相に当時18歳の志麻さんは完全に魅了されてしまいます。

フレンチに魅了され、フランス校に留学。

フランス料理にすっかり魅せられてしまった志麻さんは、学校の図書館でフランス料理の本をむさぼり読み、それに加えフランス語まで習い始めます。

そして通っている専門学校の学校のフランス校に留学を決意。

その時志麻さんはフランスの三ツ星レストランで研修を受けるのです。

半年の留学経験でさらにフレンチの魅力にとりつかれた志麻さんは、帰国後に自分の求める味、お店を探してたくさんのお店を食べ歩きます。

そして…

名店とよばれる店で働くけれど…

名店と謳われる店で働くことを決めた志麻さんは、尊敬するシェフと出会い、ありとあらゆることを教わります。

火加減から塩加減はもちろん、市場での食材の選び方からガスや水を無駄にしない使い方まで。

志麻さんは毎日店にこもり、毎日毎日勉強と修行に明け暮れたそうです。

睡眠時間は毎日3時間。

休みの日も店に行くか、もしくは自宅でフランス料理の本やフランス語の本を読み漁る毎日。

来る日も来る日もフランス料理もことばかり考え続ける日々です。

しばらく経った頃、志麻さんはどこか違和感を感じるようになります。

それは周りとの温度差の違和感と自分が作りたい料理と店で出している料理の差に感じる違和感。

志麻さんは日に日に強くなるその違和感に耐えられず、3年間の勤務ののちにお店を辞めることを決めます。

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やっと見つけた!と思ったお店。でもやっぱり…

名店とよばれるフレンチレストランをやめた後、志麻さんはしばらく迷いを引きずります。

そんな時、友人の紹介で食べにいったビストロで次の道が開きます。

そこで食べたのはフランス留学の時に食べたようなフランスの家庭料理。

シンプルで飾らない料理を口にした志麻さんは「そうそう!こういうことがしたかったんだ!」と開眼。

そのお店で働くことが決まり、朝から晩までまた一心不乱に修行と勉強に明け暮れます。

シェフの所作、味を必死に覚え、再現することに勤める志麻さん。

体力の限界なんて気にせず、ただただひたむきに取り組みます。

手足のしびれ、気管支喘息などの身体の不調に苛まれても毎日仕事に取り組みました。

が。

だんだんとまた迫りくる違和感をごまかすことはできなかったそうです。

その違和感は「○○がなかった」からだと気づく。

志麻さんは日に日に大きくなっていく違和感を言葉にすることができず、苦悩します。

信頼していたシェフにすら相談できなかった志麻さん。

10年間ずっと働き続けた志麻さんはその違和感を無視し続けることができず、精神的においつめられてしまいます。

そしてある日長い置手紙を置いて店を去る、という行動に出てしまいます。

想像するだけで辛いです…。

もうこれしか方法がなかったのでしょう…。

志麻さんが感じていた違和感。

それはこれでした。

フランス料理が誰でも気軽に楽しめる料理か?と聞かれると、残念ながら「違う」とか言えなかった。

子どもが入店できないし、誰もが食べられる料理ではないということが淋しかったんです。

私が料理に求めるのは「あたたかさ」。

それがここにはなかった。

家庭料理が作りたい。

あたたかく誰でも楽しく食べられる料理を提供したい。

そんな思いが強く根底にあったことに気付いていく志麻さん。

レストランで提供する。という仕組みに限界を感じ始めていたのです。

旦那さんとの出会いで運命が変わる。

その後、志麻さんはまたフランスへ渡航しようと考えました。

ですが、研究のためにお金は全て使い果たしてしまっていた。

またフランスへ行くために志麻さんは飲食店でアルバイトを始めます。

そこで出会ったのが現在の旦那様。

15歳年下のフランス人、ロマンさん。

一生独身だろうと思っていた志麻さんは運命の人と出会います。

当時志麻さん35歳。

自分でも驚きながら結婚し、出産という思ってもいなかった運命の扉が開きます。

やっと見つけた家政婦の道。

料理の仕事を続けたい。

でも出産や育児で時間を十分にとれない。

今まで完璧主義で一心不乱に料理に取り組んできた志麻さん。

中途半端にレストランに勤めることはできないと思い、どうしたら出産や育児を経ても今までの経験を活かしながら料理にたずさわることができるか?を真剣に考えました。

そこで頭に思い浮かんだのがフランス人の友人がやっていた『ベビーシッター』。

志麻さんはそこからヒントを得て、家事代行のマッチングサービスに登録。

これが『伝説の家政婦』が生まれた最初です。

登録当時は『料理の作り置き』の依頼は全くなく、仕事のメインは掃除ばかりだったそう。

毎日人のお家で掃除ばかりをやっている時に「なんで料理のキャリアをあんなに積んだのにこんなことをやっているんだ…」と泣きそうになったことも…。

家政婦をやっていることを旦那さま以外の人に言えなかった時があるそうです。

きっと「料理人なのに家政婦をやっているなんて…」と自分の道がわからなくなっていたんでしょうね…。

テレビの取材が来たときは抵抗がありました。

ただ、番組の反響を受けて家政婦への見方が変わったことはよかったと思っています。

家政婦がちょっとお手伝いするだけで「久しぶりに家族で食事を楽しむことができたと。」と喜ばれる。

悩み、数々の挫折をしてきた自分の生き方をようやく受け入れることができています。

生まれ変わっても今の仕事がしたいと思っています。

出典:Twitter

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素晴らしい…

「生まれ変わっても今の仕事がしたい」なんて。

世の中、どれだけの人がそう言えるでしょうか。

『あたたかさ』と『料理』と『喜び』。

志麻さんが感じているこの仕事の醍醐味が感じられますね。

志麻さんが教えてくれるお料理のコツ。

「キッチンに必要な道具は包丁意外にたった7つだけ。」

志麻さんはそう言います。

鍋とフライパンが大小2つずつ。

ザルとボウル。

あとは小さなまな板。

これさえあればどんな料理も出来てしまうといいます。

その中でも鍋が大小揃っていることが大事だと。

あとは主婦の方が持っていると便利なのは『貝印』の千切り器だそうです。

味付けの基本は塩と胡椒。それだけでいい。

味付けは塩と胡椒が基本。

これさえあればだいたいの家庭料理がつくれる。

と志麻さんは言います。

フランスの家庭料理も基本は塩と胡椒。

あとは野菜をじっくりいためて甘味をだしたり、生クリームでコクを出したり、トマトで酸味を加えたり…

たくさんの調味料をそろえる必要なんてない。

塩と胡椒。

あとは好みの調味料を少しそろえるだけで料理は作れる。

頑張らず、気負わず、楽しくシンプルなもの作る。

これが自分もキッチンも整えるコツ、だそうです。

こう聞くと、なんだかいろんなものが楽しく美味しく作れそうな気になってくるから不思議です。

塩と胡椒で何作る?

筆者は何を作ろうかな。

まとめ

伝説の家政婦志麻さんがご自分の仕事に胸を張れるまで、いろんなことがあったのですね。

伝説になるにはそれなりのことがあるの決まってます。

「生まれ変わっても同じ仕事がしたい。」と言える志麻さんの強さ、ほんとに素敵です。

どんな状況の時もご自分に嘘をつかずにまっすぐ生きてきたことがわかるエピソードが盛りだくさんでした。

お料理のコツも教えてもらい、すんごく楽になりました!

お料理はあたたかくて美味しくて楽しいもの、ですね。

ますます志麻さんのことが大好きになった筆者でしたー!

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